今日は、天香久山(あまのかぐやま)に行こうと思います。
秦氏の山だと思われます。
遠くに見えている山は、耳成山(みみなしやま)です。
田舎ののどかな風景です。
天香久山は天香具山(あまのかぐやま)とも書かれます。
天使の梯子(てんしのはしご)、エンジェルラダーが見えています。
今日は吉日かな?
遠くに見える山は、畝傍山(うねびやま)です。
神武天皇(じんむてんのう)が即位した橿原神宮が麓にある山であり、蘇我氏の信仰した素戔嗚尊(スサノオノミコト)の山でもあります。
私の家は、清和源氏の家系ですが、橘氏の家系でもあります。
橘氏は、敏達天皇(びだつてんのう)の後裔の美努王(みぬおう)に嫁いだ県犬養三千代の血筋だと言われます。
美努王(みぬおう)は三野王(みのおう)とも呼ばれます。
犬養氏は吉野の大伴氏の同族だとされ、豊受大神(お稲荷さん)の血筋になります。
狐はイヌ科の動物だという事です。
「橘」は、道教の不老不死の実の「桃」を、日本風に変えた物です。
垂仁天皇(すいにんてんのう)が田道間守(たじまもり)に常世の国に取りに行かせた「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」が「橘」だと言われます。
「橘」は「蜜柑」(みかん)の原種です。
天照大神を表す宗像三女神の「三」は「橘」が基本のようです。
大物主命(オオモノヌシノミコト)、素戔嗚尊(スサノオノミコト)、天照大神の大和三山の三神も、私のご先祖様です。
清和天皇の祖父である藤原良房(ふじわらよしふさ)は藤原北家の出身で、蘇我馬子の曾孫の蘇我娼子(そがのしょうし)の血を引いているので、清和源氏は素戔嗚尊(スサノオノミコト)もご先祖様というわけです。
神様のオンパレードで、清和源氏が天皇家の朝廷に代わって、鎌倉幕府を開けたのも頷けます。
そして、もう少し進むと、天香久山(あまのかぐやま)が見えて来ました。
手前に神社があります。
少し寄り道して行きましょう。
畝尾都多本神社(うねおつたもとじんじゃ)と書かれています。
御祭神は、泣澤女神(なきさわめのかみ)という女神で、泣澤(なきさわ)という井戸を御神体とする湧き水の女神だそうです。
記紀では、イザナミが、火の神カグツチを産んで亡くなった時に、それを悲しんだイザナギの涙から生れた神様だとされます。
日本ではあまり信仰されませんが、チベット密教では大人気の多羅菩薩(たあらぼさつ)という仏様がいます。
観音菩薩の涙から生まれた女神で、マグダラのマリアの娘のサラを表します。
イエス・キリストが人間である証(あかし)です。
日本では、その役目をお稲荷さんが担っている形なので、同神だと思ってもいいと思います。
この神社のご神体は空井戸(からいど)だと言われます。
大阪の長柄橋(ながらばし)の伝説で、人柱になった巌氏(いわうじ)の娘が、ショックで口をきかなくなったという「雉も鳴かずば撃たれまい」の「鳴く」と「泣き」が同じ意味で、「口無しの井戸」とは、ここの事かもしれません。
大山祇神(おおやまつみのかみ)には磐長姫(イワナガヒメ)と木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の二人がいて、京都の宇治橋には二つの神社があります。
瀬織津姫(せおりつひめ)を祀る橋姫神社(はしひめじんじゃ)と木花咲耶姫を祀る縣神社(あがたじんじゃ)です。
私は磐長姫は推古天皇(すいこてんのう)、木花咲耶姫は持統天皇(じとうてんのう)を表していると思っていて、貴船神社の神様の瀬織津姫は、最終的に二人の女神を纏めた皇極天皇(こうぎょくてんのう)の事だと思います。
亀(吉祥天)と蛇(弁財天)を纏めた狐(荼枳尼天)、玄武に乗るお稲荷さん、つまり、妙見菩薩(みょうけんぼさつ)です。
玄武は北極星を表すとして、妙見菩薩は亀に乗る姿で描かれます。
多羅菩薩の代わりです。
罔象女神(みつはのめのかみ)を表す三つ巴の紋です。
宗像三女神を表す私の母の家紋でもあります。
ぐるぐる回っている「水」を表し、中心にいるのは天細女命(あめのうずめ)と呼ばれる雨雲の「黒」がシンボルの女神です。
善女龍王、吉祥天、観音菩薩、軍荼利明王、宝生如来、様々な仏教名がついているマグダラのマリアを表す女神です。
天照大神を引き継いだ素戔嗚尊の血を引く三人の女神の中心的存在と言えます。
宗像三女神と言えば、市杵島姫(いちきしまひめ)を一番に思い浮かべるかもしれませんが、本家本元は多岐津姫(たぎつひめ)と呼ばれる「滝」の女神で、推古天皇を意味します。
日本は、この神様のお陰で「水」が豊富で、沢山の植物に恵まれた国となっています。
命の源であり、清濁併せ吞む自然を表します。
6月を「水無月」(みなづき)と呼びますが、梅雨の時期で「水」が最も多い月に「無」という漢字を充てているのが不思議です。
言葉に囚われて本質が分からなくなる事を示唆しているようです。
般若心経の「空」は有るとか無いとかに囚われない無分別智(むぶんべつち)の悟りの智恵を表します。
「口無しの井戸」の「空井戸」(からいど)は「水が無い井戸」ではなく、「悟りの井戸」という意味なのかもしれません。
「水」は道教のシンボルであり、仏教では6は六道輪廻(ろくどうりんね)の迷いの世界を表すのかもしれません。
反対に迷いが解けた仏の世界は十方微塵世界(じっぽうみじんせかい)で、須弥山(しゅみせん)を中心とした四方八方に上下を加えた十の方向を表しているのかもしれません。
10月の「神無月」(かんなづき)が出雲でだけは「神在月」(かみありづき)と呼ぶのは、日本は大国主命を中心に「縁」を結んだ世界だという意味を「十」という数字に持たせているのだと思います。
「十」は十字架のイエス・キリストを表す数字であり、「神無月」は「時雨月」(しぐれづき)とも呼び、時間と共に過ぎ去っていく「通り雨」を意味します。
和歌などでは「時雨」(しぐれ)は一時の「涙」の意味でも使われます。
この近くに推古天皇を祀る樋口神社(ひぐちじんじゃ)という神社がありますが、雨水の出口である樋口(ひぐち)という名前から、ここでも「水」と関係性を持たせている事が分かります。
それでは、先に進みましょう。
さあ、ここから、天香久山(あまのかぐやま)に登ります。
左に行くと天香山神社で、右に行くと天岩戸神社で、まっすぐ山道を登ると山頂だと書かれています。
まずは、山頂を目指しましょう。
舒明天皇(じょめいてんのう)は、推古天皇が崩御した後、即位した天皇で、敏達天皇(びだつてんのう)の直系でしたが、蘇我馬子の娘の法提郎女(ほほていのいらつめ)と結婚し、古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)を儲けたことで、蘇我氏の力を背景に629年に即位しました。
舒明天皇(じょめいてんのう)の皇后で、中大兄皇子(天智天皇)を産んだ寶女王(たからのひめみこ)が、舒明天皇(じょめいてんのう)が崩御した後、後継ぎが決まらなかった為に、皇極天皇(こうぎょくてんのう)として即位します。
蘇我入鹿は、皇極天皇の次期天皇に古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)を擁立しようとして、山背大兄王(聖徳太子の子)とその一族を滅ぼしました。
しかし、乙巳の変(いっしのへん)で、蘇我入鹿は天智天皇に殺され、古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)も謀反の疑いで滅ぼされ、栄華を誇った蘇我氏も滅亡へと追い込まれます。
それでは、山を登りましょう。
耳成山や、畝傍山と比べて、落葉とドングリが無数に転がって道を覆い尽くしています。
ドングリのなる木で、落葉しない常緑樹の代表が「樫の木」だとすると、落葉する落葉樹の代表が「楢(なら)の木」です。
この山は、「楢の木」(落葉樹)の山なのかもしれません。
楢(なら)は、奈良(なら)の地名の元だと思われます。
「奈」という文字は、「木」と、祭祀を表す「示」の字を組み合わせた文字で、木の実や果物を実らせる「木」を祀るという意味と、山菜や、野菜などの「菜」(な)という「山の幸」を表す文字で、「山の幸の良い場所」という意味です。
そして、もう一つは「林檎」(りんご)という意味です。
「林檎」はアダムとイヴのイヴが「蛇」にそそのかされて食べたとされる「智恵の木」の果実になります。
この為、人間は天国から追放されて永遠の命を失い、キリスト教では「原罪」(げんざい)を意味します。
この人間の「原罪」をイエス・キリストが十字架に掛かる事により許され、再び天国に戻れることを「贖罪」(しょくざい)と呼びます。
「贖罪」は「瓜」(うり)で表されます。
これは原始キリスト教徒がヨナ書のヨナを砂漠の灼熱の日差しから守った植物を「瓜」の蔦だと解釈したからで、「瓜」がイエス・キリストのシンボルとしてカタコンベの壁画などに描かれる事になります。
今回は「瓜」の方ではなく、「林檎」が主役のようです。
楢の木は、水を通さない性質と、香りがあることから、ウィスキーの樽などにも使用され、ヨーロッパでは、「オーク」(聖木)とされます。
現在、「オーク」が「樫の木」と誤訳され、混乱しているのは、明治の学者達が常緑樹の「樫の木」の方が貴い木で、落葉樹の「楢の木」のはずがないと勝手に解釈した為だと言われています。
北欧神話では、ユグドラシル(世界樹)と呼ばれる木があり、根が三つの大木だとされます。
「木」という漢字の下の部分が三本足なのは、この為です。
これは、宗像三女神を御祭神とする宗像大社の神紋です。
楢(なら)の木の三つの葉と五つのドングリの計八つを表します。
根っこも、やはり三本足です。
罔象女神(みつはのめのかみ)とは「三つ波」という意味と、もう一つ「三つ葉」という意味もあります。
葉は、「卑弥呼(ひみこ)」、「台与(とよ)」、「壱与(いよ)」の3人を表しています。
天照大神が素戔嗚尊と誓約を交わした事で、宗像三女神が生まれた訳ですが、素戔嗚尊は天武天皇の事だと私は思います。
神武天皇でもあり、橿原神宮の永遠を表す常緑の「樫」(かし)でもありました。
それが、孫の長屋王の時代に藤原四兄弟によって皇室から天武天皇の血が排除されます。
天武天皇は謀反を起こした狭穂彦(さほひこ)という新しい名前が加えられ、稲城に火を放たれ「火事」(かじ)で亡くなる人物として古事記に残されます。
ここから、天武天皇のもう一つの名前である建御名方神(たけみなかたのかみ)の神紋が「梶」(かじ)になります。
おそらく、天武天皇が望んだ素戔嗚尊の姿は太陽神イエス・キリストだったのだと思います。
畝尾都多本神社の「都多」(つた)とは、イエス・キリストのブドウの「蔦」(つた)で、天武天皇の子孫を表しているのだと思います。
狭穂彦王の子孫が造った国が甲斐国(かいのくに)、つまり山梨県ですが、ここにブドウの実を手に乗せた薬師如来を祀る大善寺(だいぜんじ)というお寺があります。
薬師如来はイエス・キリストの事だと私は思っています。
最後の晩餐(ばんさん)でイエス・キリストが葡萄酒は自分の血だと言った事から、キリスト教徒では葡萄酒を神聖なものとみなします。
マグダラのマリアはイエス・キリストの子を身籠った事から血を受ける「聖杯」(せいはい)がシンボルとなります。
つまり、葡萄酒を受ける「樽」(たる)はマグダラのマリアの「聖杯」と同じ意味を持ち、天照大神のシンボルだというわけです。
大阪の吹田市に垂水神社(たるみじんじゃ)という神社があります。
ご祭神は豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)となっていますが、おそらく、豊受大神(皇極天皇)の城に入る天武天皇を表しているのだと思います。
「垂水」(たるみ)は水が垂れる「滝」の意味だそうですが、本当は「樽見」(たるみ)で、葡萄酒(イエス・キリスト)ではなく、樽(マグダラのマリア)の方を見なさいという意味なのだと思います。
奈良が「山の幸」の国だとしたら、「海の幸」の国は伊勢です。
伊勢は、志摩国と呼ばれました。
淡路国(卑弥呼)、若狭国(壱與)、志摩国(台与)の三国が、御食国(みけつくに)と呼ばれ、この国で取れる海産物が神事の際に貢がれる神饌(しんせん)として用いられました。
慶事における進物や贈答品に添える飾りで熨斗(のし)というものがあります。
これは、奈良の桧原神社から、垂仁天皇の第四皇女の倭姫命が、天照大神の御鎮座の場所を探し歩いていた時に、志摩国で海人さんから鮑(アワビ)をご馳走になり、こんなおいしい物を食べた事がないと感動し、是非、天照大神さまをお祀りする場所が決まったら、お供えしたいと言って誕生した熨斗鮑(のしあわび)が起源だそうです。
仏教では殺生が禁止されているので、生臭物のお供えものはしませんが、神道では、仏教との対抗から、あえて鮑をお供え物に選んだそうです。
ここにも、他宗教とは違うという拘りがあるようです。
山頂に着きました。
社が二つ並んでいますが、左が「国常立神」(くにとこたちのかみ)です。
一番最初に生まれた神様で、「口」を表す「言の葉」(ことのは)の神様の大物主命を象徴する神様です。
「国常」(くにとこ)の「国」(くに)は出雲系の国津神であり、素戔嗚尊の「園神」(そのかみ)を象徴し、「常」(とこ)は「床」(とこ)を表し、推古天皇(由加大権現)を祀る由加神社(ゆがじんじゃ)の「由加」(ゆか)と同じ「国の床」になった神様です。
「立神」(たちのかみ)は、それを「断つ」という意味になります。
「まことかと聞きて見つれば言の葉を飾れる玉の枝にぞありける」
これは、竹取物語で、かぐや姫が車持皇子の用意した「蓬莱の玉の枝」が「言葉で飾っただけの偽物の玉の枝」だったと返した言葉です。
車持氏は推古天皇と同族で、「蓬莱(ほうらい)の玉の枝」は、道教の仙人が住む蓬莱山という山にある根が銀、茎が金、実が白玉の木の枝だとされます。
白玉は真珠を表す言葉ですが、この場合は白い翡翠で「不老不死の勾玉(まがたま)」=「玉串」を表しているのだと思います。
「不老不死の勾玉」は「言葉」だけの偽物、紛らわしい「まがい物の玉」だったという意味です。
天の誓約で天照大神と素戔嗚尊が、それぞれ持っていた「勾玉」と「十拳剣」を交換して、素戔嗚尊が天照大神の持っていた「勾玉」を噛み砕いて五人の神様が生まれたとされ、その長男が現在の皇室になります。
この神様と対になっている天之常立神(あめのとこたちのかみ)という神様がいますが、天孫系の天津神であり、「天之」(あめの)は、天之磐船(あめのいわふね)の大物主命を表し、それを断つ神として、素戔嗚尊の子の八島士双美神(やしまじぬみのかみ)=大国主命と結婚した磐長姫(イワナガヒメ)を象徴し、須世理毘売命(スセリビメ)という別名もある推古天皇に当たります。
大物主命と磐長姫が二人一組だということです。
「立」が入る事で、前後の関係がひっくり返るわけです。
右は、高龗神(たかおかみのかみ)で、豊受大神(とようけのおおかみ)の別名になります。
神紋は「橘」(たちばな)です。
「立花」(たちばな)は「花」(鼻)を象徴する素戔嗚尊を「断つ」という意味になります。
高龗神(たかおかみのかみ)と対にされている女神に闇龗神(くらおかみのかみ)と呼ばれる神様がいますが、こちらが磐長姫(イワナガヒメ)に当たります。
磐長姫(イワナガヒメ)は、永遠の命を象徴する女王卑弥呼の別名です。
木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)が散り際が美しい「桜」で、磐長姫(イワナガヒメ)が不老不死の実とされた道教の「桃」のようです。
和歌山県海南市に橘本神社(きつもとじんじゃ)という神社があります。
お菓子の神様として、田道間守(たじまもり)が祀られていて、この場所が、常世の国から持ち帰った「橘」を最初に植えた地とされ、これが、現在の和歌山県の「蜜甘(みかん)」になったと言われています。
熊本県の八代市の「蜜甘(みかん)」も、同様の伝説があります。
「蜜柑(みかん)」は三つ(蜜)の柑(漢)で宗像三女神を表しているものと思われます。
「橘」は香りがよく「天香久山」は「橘山」(たちばなやま)と考えて良いと思います。
鼻が断たれて鼻が無い山です。
この山の北側に橘氏の祖である橘諸兄(たちばなもろえ)の墓があります。
大和には 群山(むらやま)あれど とりよろふ
天(あま)の香具山(かぐやま) 登り立ち
国見(くにみ)をすれば 国原(くにはら)は
煙(けむり)立つ立つ 海原(うなばら)は
鷗(かもめ)立つ立つ うまし国そ
蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は 舒明天皇
古来、日本の事を秋津島(あきつしま)と呼んで、トンボや蜻蛉(かげろう)を「秋津」(あきつ)と呼び「秋」の季語として使われてきました。
推古天皇の「朝陽」ではなく、持統天皇の「夕陽」が太陽を象徴するようになります。
「朝」(あさ)は「麻」(あさ)の意味があるようです。
神道では大麻(おおぬさ)や、お札や、御幣(ごへい)、紙垂(しで)など「麻」が使われていました。
マグダラのマリアが「七つの大罪」として悪い意味を持たされていますが
リネン (アマ科)
ラミー (イラクサ科)
ジュート(シナノキ科)
アバカ (バショウ科)
サイザル(ヒガンバナ科)
ケナフ (アオイ科)
ヘンプ (クワ科)
の七つの「麻」を意味したのかもしれません。
マグダラのマリアが、イエス・キリストの足に塗ったとされる香油が、大麻オイルだったのではないかという説まであるようです。
この中でも、亜麻仁油(あまにゆ)が採れるリネン、つまり「亜麻」(あま)は重要で、猿田彦大神の「椿油」(つばきあぶら)、離宮八幡宮の「えごま油」、山崎丹生神社の「榧油」(かやあぶら)と、油に拘る日本で、「火」である太陽神の天照大神に相応しい油は何かと考えたら「亜麻」(あま)しか該当する油はなさそうです。
天照大神の「天」(あま)は、「海女」(あま)や「尼」(あま)など「女性」を表す意味以外に、「亜麻」(あま)の意味も含まれているのかもしれません。
インドでは「大麻」はシヴァ(大国主命)の草だとされています。
昔は「大麻」が持つ幻覚作用が、神がもたらした神秘的な宗教体験だと思い込んだのかもしれません。
曼荼羅のような万華鏡のような世界も、麻薬によるトリップ体験のようなものではないかと想像します。
日本で「草餅」に混ぜられるヨモギも、西洋ではニガヨモギと言って、幻覚を見る草になり、ユダヤ人の過越しの祭りでマッツオ(お餅)に苦菜(ニガヨモギ)を付けて食べる昔の風習と重なります。
大黒天(大国主命)が「黒餅紋」で表されるのは「草餅」を意味しているのかもしれません。
山頂の景色です。
肉眼では、木の間から畝傍山が見えるのですが、周りが暗いからか、写真では、ぼやけて写りませんでした。
それでは、次に行きましょう。
竹薮の中に伊弉諾(イザナギ)神社です。
中国神話に、世界を創造した男性の神様で、「盤古」(ばんこ)という角の生えた神様がいます。
道教が発展してくると、元始天王(げんしてんのう)と呼ばれ、インドの天輪聖王(てんりんしょうおう)=インドラと同一神だとされます。
この神様の左目から「太陽」が生まれ、右目から「月」が生まれ、吐息や声が「風雨」や「雷霆」になったとされ、伊弉諾(イザナギ)の黄泉の国の禊から三神が生れた記述とよく似ています。
中国では、元始天王(げんしてんのう)は、牛頭天王(ごずてんのう)と習合しました。
牛頭天王は日本では八坂神社(やさかじんじゃ)の神様で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)に大国主命を習合させた「牛」の神様です。
毘沙門天王(素戔嗚尊)の代わりだと思います。
素戔嗚尊は、亡くなった伊弉冉(いざなみ)のいる根の堅洲国に行きたいと言って、伊弉諾(イザナギ)を怒らせてしまい、高天原を追放されてしまいます。
中国神話では「盤古」(ばんこ)が世界を造った後に、「伏羲」(ふくぎ)と「女媧」(じょか)が大洪水の中、ヒョウタンの船の中に隠れて助かり、人類の始祖となります。
ノアの箱舟や、アダムとイヴのような話です。
その後は、「炎帝神農」(えんていしんのう)というイエス・キリストのような薬の神様が生まれ、「蚩尤」(しゆう)という鬼の一族が現れ、「黄帝」(こうてい)と争い、負けた「蚩尤」が逃げて日本人となり、勝った「黄帝」が中国人になったというものです。
ここで、興味深いのは、「黄帝」より先に「蚩尤」が存在したという事で、黄河文明より先に存在した長江文明が日本人のルーツで、中国人は長江文明を模範にして中国という国を造ったという事です。
中国では「楓」(フウ)が真っ赤に紅葉する事を「蚩尤」の「血」の色と表現したようで、フウとカエデは違いますが、日本では「楓」(かえで)が風神である素戔嗚尊のシンボルとなります。
京都市山科区の毘沙門堂の真っ赤な敷きモミジは「血」を連想するぐらいに鮮やかです。
ここから少し降りると…
伊弉冉(イザナミ)神社です。
本来、下から上がって来ると、こちらが先にあるのですよね。
この女神は、おそらく道教の聖王母がモデルで、中国で不老不死の実とされた「桃」の女神です。
仏教では吉祥天(きっしょうてん)の母の鬼子母神(きしぼじん)に当たり、吉祥天は、磐長姫に当たります。
日本の神話は、朝鮮半島に広まっていた道教を意識しながらも、道教を否定することから生れたものかもしれず、伊弉諾(イザナギ)と伊弉冉(イザナミ)が決別する所から物語が始まり、天照大神、月読命、そして素戔嗚尊の三人の貴い神様は、その決別の禊(みそぎ)から生まれます。
伊弉諾(イザナギ)という男神一人で子供を産んだわけで、こういった神話が創られた背景には、道教を元に、蘇我氏や天武天皇が生み出した天照大神が一番偉いという女尊男卑(じょそんだんぴ)に対する反動かもしれません。
おそらく、蘇我氏系の天武天皇は、物部氏系の天智天皇と喧嘩にならないように対等の立場にする為に二人の母である皇極天皇を天照大神として中心に添え、古事記の編纂を始めたのだと思われますが、完成せずに亡くなった為、最終的には藤原不比等によって内容が大きく変わってしまったのでと私は思います。
私は、「桃」も、「蜜甘」も、どちらも好きです。
人間の争いとは関係なく、どちらも自然が人間に与えた「自然の恵み」であり、「香菓(かぐのこのみ)」だからです。
ちなみに、宗像三女神の一人とされる市杵島姫(いちきしまひめ)を象徴する果物が「柿」で、仏教では弁財天に当たります。
「火の木」(かのき)という意味で、「柿」と同じ読みの安芸の宮島の「牡蠣」(かき)も市杵島姫を象徴する貝になります。
筏で浮かべて養殖されていますが、天然の岩牡蠣はアワビのように岩にくっついているのが特徴です。
岩を象徴する大物主命にくっついている神様という意味になります。
「柿」は元々、渋柿しか出来ない落葉樹なのですが、「桜」と同じく「接ぎ木」という日本の誇る技術によって甘い「柿」が誕生しました。
黒船のペリーが、これをアメリカに持ち帰り、ヨーロッパへと広まった為、「柿」の学術名は、英語で「kaki」と呼ばれています。
イスラエルのシャロン・フルーツという甘く加工した「柿」も、元は渋柿になり、甘い天然の「柿」は日本の技術である「接ぎ木」でしか生まれません。
「柿」は奈良が産地であり、この天香久山を代表する「香果(かぐのこのみ)」です。
卑弥呼(ひみこ)が「桃」、台与(とよ)が「蜜柑」、壱与(いよ)が「柿」で、「三つ葉の目の神」の宗像三女神となります。
それでは、山を降りて、違う道から天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)に向かいます。
他の山と比べて、落葉とドングリが多いからか、土も柔らかくて歩きにくいです。
やっと、着きました。
この神社の御祭神は櫛真命神(くしまちのみことのかみ)という聞きなれない名前の神様です。
「く」と「ち」の間に「しま」が入っています。
蘇我馬子は、嶋大臣と呼ばれ、蘇我氏を象徴する字が「嶋(しま)」です。
「口」で囲われる「嶋」ということでしょうか?
元の名が、大麻等地神と書かれています。
占いの神ということなので、おそらく、弓削連(ゆげのむらじ)の祖の倭古連(やまとこのむらじ)の娘の阿佐姫(あさひめ)のことで、磐長姫(イワナガヒメ)など、たくさんの異名を持つ女王卑弥呼の事でしょうか?…
入ってすぐ右側に「朱桜」(にわざくら)という古名で知られる「波波迦の木」(ははかのき)と呼ばれる木がありました。
古事記では、天照大神が、天岩戸に隠れた時に、常世から来た智恵の神の思金神(おもいかねのかみ)が、天照大神を岩戸から出す方法を考え、雄鹿の肩の骨を、この「波波迦の木」(桜)の皮で焼いて、その方法を占ったとされます。
思金神(おもいかねのかみ)とは、天穂日命(あめのほひのみこと)の別名で、おそらく、天智天皇に味方した蘇我倉山田石川麻呂になるようです。
波波迦とは上溝桜(うわみずさくら)の事で古代の実の成る桜です。
日本人は桜を品種改良し、花を観賞するソメイヨシノを生み出し、西洋人は実を食すセイヨウミザクラを生み出しました。
上溝桜は、そういった人間が創り出した木と違う自然が生み出した最初の桜と言えます。
この上溝桜の実で作った果実酒は不老不死のお酒=甘露(かんろ)だと思われていて、天竺にお経を取りに行った三蔵法師は、お経と共に、この上溝桜の果実酒を探しに行ったという話まであります。
桜はアーモンドの木や、桃、梅などとも近い植物で、私は一神教のユダヤ教のメノラーを表し、鹿はユダヤ教の祖のヤコブの兄のエサウである日本人の象徴で、ケルト人の神であり、多神教の象徴だと思います。
仏教ではお釈迦様の前世が鹿の王であったとされ、救世主のシンボルだと個人的には思います。
桜と鹿を密教の不動明王(大日如来)の炎で共に浄化したのが天照大神だという事だと思います。
桜の女神の木花咲耶姫(このはなさくやひめ)が火の中で三人の子供を生んだ話や、火の神の火之迦具土命(ひのかぐつちのみこと)が死んで八王子となった話は同じ事を意味しているように思います。
迦具土(かぐつち)とは天香久山の土で、火によって土器に変わります。
神武天皇は、この天香久山の土で祭器を作り、神の力によって東征を成功させて大和(奈良)に入り初代天皇となります。
この祭器が何を表しているのかが人によって解釈が違うと思いますが、私はキリストの血を受けた聖杯、マグダラなマリアの子のサラ(皿)だと思っています。
豊(とよ)を受けた豊受大神(とようけのおおかみ)が聖杯であるサラの正体だという事です。
豊受大神のモデルと思われる第11代天皇の垂仁天皇(すいにんてんのう)は埴輪(はにわ)を人間の代わりに埋葬し、殉死の風習を無くしました。
埴輪も、土器も、埋葬も、蘇我倉山田石川麻呂の子孫の土師氏が制作を担当し、荒神の迦具土神や、十一面観音菩薩を表すようです。
古事記では、「波波迦の木」」の占いの後、「榊」(さかき)を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と八咫鏡(やたのかがみ)と布帛(ふはく)をかけ、御幣(ごへい)として奉げ持ったと書かれています。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)=天武天皇が降臨した高千穂の天香具山(あまのかぐやま)では「榊」(さかき)は瓊瓊杵尊が植えた木だと言われていて、天逆鉾(あまのさかほこ)など「逆さまの木」=「逆木」(さかき)という意味があるのかも知れません。
玉串(たまぐし)と呼ばれる「榊」の枝は作法で回転させて根の方を神前に向けて奉納します。
これは神様から見たら前後左右が逆になるからで、平田篤胤は、「榊」が使用される以前は「竹」に「玉」を付けていたので「玉串」と呼ばれると言い、本居宣長は神前に手向ける為に「手向串」(たむけぐし)と呼ばれていたものが「玉串」(たまぐし)に変わったと主張しました。
「手向」(たむけ)は「手向」(とうげ)=「峠」(とうげ)と同じ意味で、登りから降りに変わる「山頂」で行者が道祖神に遥拝した事から「手を向ける」という意味があるようです。
つまり、陰から陽へと逆さまに変わる折り返し地点を表すようです。
「竹」も「榊」も天武天皇を表していて、八岐大蛇を退治した英雄の素戔嗚尊(天武天皇)が天照大神(皇極天皇)を岩戸に隠れさせた暴れ者である事とも似ています。
鏡の前では「前後左右」がひっくり返るわけで、ユダヤ教の「生命の樹」の根本が「邪悪な樹」と繋がっているという構図と一致しているように思います。
ヨハネの黙示録でキリスト教を信仰している人は「右」の天国に、信仰していない人は「左」の地獄に分けられるという話も、ひっくり返ると「右」が地獄に「左」が天国になるので、「陰」も「陽」も実は同じもので一つであるという道教の太極図の思想を「玉串」の作法で表しているのかもしれません。
この為、日本では全員が救われる門徒宗(浄土教)が流行りました。
牛頭天王の蘇民将来(物部氏)の逸話も「善」と「悪」がひっくり返り、巨旦将来(秦氏)が蘇民祭のジャッソーの掛け声と共に鬼に変わる事とも繋がります。
ジャッソーは邪を正すという意味だそうです。
東大寺の南の鏡池に鎮守神として祀られた手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)は、邪を正して付けられた「鏡」の名前なのだと思います。
平城山(ならやま)を昔は手向山と言ったので、こちらが本家本元の天武天皇の山、牛頭天王になる前の毘沙門天王の山だと思います。
「榊」は蘇我氏が聖なる木とした「柊」(ひいらぎ)の代用なのかもしれません。
「柊」は、比比羅木(ひひらぎ)や、平良木(ひららぎ)とも書かれ、新羅(しらぎ)で聖木とされていた木で、牛頭天王や、道教と結び付いていました。
道教の祭である節分には鰯(いわし)の頭を柊に刺して門口に飾って魔
除けにしたりします。
鰯は、磐長姫を象徴する「磐の死」(いわのし)で、秦氏を意味し、柊は魔除けとして、丑寅の方角に植えると良いとされます。
下鴨神社の比良木神社(ひいらぎじんじゃ)は、素戔嗚尊をご祭神とし、柊をシンボルとするようです。
天岩戸から出て来た神道の女神は、道教で神聖視されたものを捨てて、道教からの決別が主題なのだと思われます。
クリスマスに飾られるクリスマスリースは、魔除けの意味があり、セイヨウヒイラギの葉が使用されます。
セイヨウヒイラギの茨(いばら)は、キリストが十字架に架けられた時に被せられた冠であり、赤い実はキリストの流した血だとされ、キリスト教のシンボルになります。
真冬でも青々とした葉に真っ赤な実を実らせる事から永遠を象徴するそうです。
クリスマスリースの輪の形も、途切れないという意味が籠められているようです。
セイヨウヒイラギは、元々、ケルト民族のドルイドという僧侶が頭に被って神聖視していたものを、キリスト教が取り入れたようです。
日本のお正月の〆縄飾りは、稲や麻などの藁が使用され、柊は使用されませんが、クリスマスリースと、よく似た風習だと思います。
景教徒(けいきょうと)の秦氏を導く秦河勝(はたのかわかつ)は、道開き(道祖神)の猿田彦大神を象徴する人物で、第12代天皇の景行天皇(けいこうてんのう)を意味します。
その景行天皇が東国を平定するのに日本武尊(やまとたける)に与えた武器が、比比羅木(柊)で作った八尋矛(やひろほこ)だとされます。
日本武尊は持統天皇の弟の建皇子(たけるのみこ)がモデルだと私は思いますが、大化の改新で蘇我氏を平定した象徴で、柊には蘇我氏を開くという意味があるものと思われます。
「鰯」や蘇我倉山田石川麻呂を象徴する「鯵」(あじ)=阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)は開きにする調理も多く、開いた形が柊に似ている事から「開き」(ひらき)=比良木(ひらき)と言います。
背(蘇我氏)から開くものを「すずめ開き」と言い、腹(秦氏)から開くものを「うるめ開き」と言います。
潤目(うるめ)は潤目鰯(うるめいわし)の事で、腹側の皮が薄い小魚の調理に適しています。
猿田彦大神と習合する比良明神(ひらみょうじん)は茨木(いばらぎ)の阿武山古墳(あぶやまこふん)に眠る藤原鎌足を表し、比良木(ひらき)=柊(ひいらぎ)には藤原鎌足の意味も含まれているものと思われます。
こちらは武蔵七党丹党流の大関氏(おおぜきし)の「抱き柊」という家紋です。
二枚の柊の角が8×2=16になっているのが基本で、皇室の十六八重の菊の紋と同じく第16代天皇の仁徳天皇(にんとくてんのう)を表すようです。
柊は開きにされた蘇我氏で、蘇我倉山田石川麻呂を象徴しているものと思われます。
蘇我氏の新しいリーダーになります。
相撲では3場所連続で三役(関脇・小結)の地位にあって、その通算の勝ち星が33勝以上が大関(おおぜき)の昇進の目安とされます。
横綱(よこづな)は、当初、横綱免許を持つ大関に対する名誉称号に過ぎなかったため、番付では大関が最高位となっていました。
33勝の33は第33代天皇の推古天皇を象徴する数字になります。
阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)は八剣明神(はっけんみょうじん)であり、柊の八尋矛(やひろほこ)は蘇我氏の持つ草薙剣(くさなぎのつるぎ)と入れ替わっている可能性があるものと思われます。
それは日本武尊(やまとたける)が出雲健(いずもたける)を征伐するのに剣を交換して騙して相手を倒したとされていたり、日本書記に天智天皇の時代に草薙剣が盗難された事がわざわざ記載されている事などから、おそらく、蘇我氏の天稚彦(あめのわかひこ)に阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)が入れ替わった事を暗に示唆したものと私は思います。
現在は草薙剣を祀る熱田神宮(あつたじんぐう)の別宮の八剣宮でこの神様(八剣明神)が祀られているものと思われます。
本殿です。
それでは、次に天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)に行こうと思います。
山の周りを回るように道があります。
また、畝傍山が見えます。
天岩戸神社には、ここから歩いて10分~15分ぐらいだと思います。
着きました。
小さな鳥居です。
私は、昔、宮崎県の高さ80m~100mにも達する断崖絶壁の高千穂峡(たかちほきょう)の天岩戸神社に行ったことがあるので、そこと比べると、ここの天岩戸神社は、こじんまりとして迫力に欠けますが、おそらく、こちらの神社の方が本家本元なのかもしれません。
高千穂の方は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、つまり、天武天皇の子孫を奈良から地方に追いやって造った神社なのだと思われます。
七本竹と書かれています。
かぐや姫は、元々は天岩戸(推古天皇の崩御)から誕生した天智天皇の娘の持統天皇のことだと思われます。
ただし、天武天皇が政権を奪って持統天皇を皇后とした時に持統天皇は狭穂姫(さほひめ)と名前を変えられて天智天皇と天武天皇の両方の母である皇極天皇が、かぐや姫の役目を担ったようです。
奥に見える竹が、七本竹のようです。
桃太郎は、「おばあさん」が「川」から拾ってくるのに対して、かぐや姫は、「おじいさん」が「山」から拾ってくるのが対照的です。
橿原市の牟佐坐神社(むさにますじんじゃ)の禰宜であった宮道君が室町時代に書いたとされる五郡神社記によると、この神社のご祭神は亀津姫(かめつひめ)と言い、天岩戸を亀岩戸(かめのいわと)と呼ぶようで、岩戸に隠れる女王卑弥呼(推古天皇)を甲羅に隠れる亀で表したのだと思います。
岩戸を開いて出て来た女神は、八咫鏡に映したそっくりな別人で、名前を壱与(いよ)と呼び、持統天皇を表していたようです。
天香久山は八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の山で、迦具土神の血から生じた500個の石で、五百箇御統(いおつのみすまるのたま)とも呼ばれます。
ユダヤ教の三種の神器のアロンの杖に該当し、祭祀を司る神器で、聖徳太子が玉造稲荷神社で岡に突き刺した栗の白木の箸は、アロンの杖のパロディだと思われます。
栗は天武天皇を表しますが、元は紀(木)の国の植物神の素戔嗚尊でしたが、平らな栗の平群(へぐり)になってしまいます。
木を見て森を見ずと言いますが、無分別智(むぶんべつち)の太極で物事を見ると本質が見えてくるようです。
天理の森神社のご祭神は藤原氏の祖神の天児屋根命(あめのこやねのみこと)となっていますが、元々は亀津姫だとされ、対馬の太祝詞神社(ふとのりとじんじゃ)から遷座した亀卜(占い)の神様のようです。
亀に乗る浦島太郎、亀に乗る鶴、亀に乗る妙見菩薩、出雲大社に乗る伊勢神宮です。
岩戸から出て来た「天照大神」を上手に描いています。
右の踊っている女性は、「天宇受賣」(アメノウズメ)という芸能の神で、猿田彦(サルタヒコ)と夫婦になる女神です。
猿田彦は藤原鎌足の事で、「天宇受賣」は名前を変えられた元祖「天照大神」の推古天皇の事です。
岩戸に隠れた亀津姫が入れ替わって「天宇受賣」になったという事で「阿亀」(おかめ)と呼ばれて、芸能の神として能面になります。
猿田彦大神のシンボルの「椿」(つばき)は、花を楽しめて油まで採取できます。
少彦名神のシンボルの「茶ノ木」(ちゃのき)は喫茶を楽しめて神農本草経(しんのうほんぞうきょう)の薬でもあります。
「椿」と「茶ノ木」の仲間である「榊」(さかき)は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が高千穂に植えた木とされ、「常緑」以外に特徴がないのが特徴になります。
天児屋(アメノコヤネ)、太玉(フトダマ)、玉祖(タマノオヤ)、石凝姥(イシコリドメ)と一緒に瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に随伴した五人組みの一人です。
天岩戸から出てきた光り輝く女性が二代目「天照大神」で持統天皇に当たり、途中で皇極天皇にバトンタッチします。
お稲荷さんにバトンタッチした弁財天で、弁財天を祀っていた山にお稲荷さんを祀ったのが、現在の伏見稲荷大社です。
場所は「深草」(ふかくさ)というところで「竹」を意味します。
天岩戸を開いた五人は、楢(なら)の木の五つのドングリという意味で、推古天皇の勾玉から生まれた五人のようです。
「玉串」の「竹」に付けられた「玉」でもあります。
それでは、帰りましょう。
まだコメントはありません。