孔子(こうし)や、孟子(もうし)の儒教(じゅきょう)を学んだ人で、朱熹(しゅき)という人がいました。
朱子学(しゅしがく)の祖とされる人物です。
それまで、ばらばらで様々な学説のあった儒教を一つに纏めて、当時、中国の主力であった仏教や、道教の論理体系をも取り込んで、独自の壮大な学問体系を作りあげた人物です。
思いやりのマナーでしかなかった儒教を、哲学的な学問へと再構築した人物とも言えます。
朱熹は元々は儒家の家庭に生まれながら、「禅」や仏教の思想にかぶれ、儒家を敵視していましたが、師匠となる儒者の李延平(りえんぺい)と知り合った事で、仏教を捨て儒教を支持する立場へと変わりました。
仏教の「空」(くう)や、道教(老荘思想)の「無」(む)に対抗して、朱子学は「理」(り)という言葉を使います。
「理」とは、宇宙根本の理法で、宇宙を存在させている法則や、秩序といったものです。
仏教では、物の存在を「仮」の存在だとか、「幻」だとか言います。
朱子学では、物の存在を「幻」とは考えません。
その物を成り立たせている原理を「理」であるとします。
これを、「性即理」(せいそくり)と言います。
性とは、ものを成り立たせている本性です。
性は即ち、理だという意味です。
朱熹は、宇宙の根本原理である天の「理」は、一つ一つの事物に分有されて存在していると言います。
どんな小さな事物にも「理」が宿っていて、それが、宇宙という大きな「理」に繋がっています。
全てが、この「理」を通して一つであるということです。
そして、ここからが、更に仏教と違うところです。
万物があるのは、宇宙(天)によって存在させられるからで、人や動物は親から生まれ養育されることによって存在を開始し、維持し、同じように社会関係においても、家臣は君主の俸禄によって、養われ、存在を維持していると言います。
このように、何かが存在するということは、常に上位の者によって、存在させられるという構造において成り立っております。
天地万物全体を貫く「理」(筋道)には、必ず上下があります。
朱熹は、これを、「上下定分の理」(じょうげていぶんのり)と言います。
子が親を敬わなければならない儒教の「孝」(こう)の精神であり、仏教の「平等」とは、全然、違います。
人間を創造した神様と、創造された人間も同じ関係であり、生ずるものと生じられるものの関係は決して対等ではないと言うのです。
朱子学に「理一分殊」(りいつぶんしゅ)という言葉があります。
天地万物を貫く法則の「理」(り)は仏教のように一つなのですが、それを形作る一つ一つの「殊」(しゅ)は「分」(こと)なるという意味です。
「殊」(しゅ)とは立場であり、子の立場と親の立場、自分の立場と他人の立場など、その立場によって違いが生じるという事です。
人間はやはり、他人の子供より自分の子供が可愛く、他人の親より自分の親に愛情があるものだということです。
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)の小説である「杜子春」(とししゅん)は、この「理一分殊」をテーマとして書かれた傑作だと思います。
道教の仙人に憧れて弟子入りしようとした杜子春が、現実社会の中で何が一番価値のあるものなのかを悟り、儒教に目覚める物語です。
親が子を思う心、そして子が親を思う心を通して儒教が最も大切にしている徳目の「仁」(じん)を表現しているように思います。
朱子学で、もう一つ覚えておいてほしい概念に「気」というものがあります。
「気」とは、現代で言う、エネルギーのことです。
運動の源になるものです。
エネルギーが満タンの状態を、「元気」と言います。
エネルギーが失われ調子のおかしい状態を、「病気」と言います。
朱熹は、「理」と「気」が、全ての万物の元だと言います。
これを、「理気二元論」(りきにげんろん)と言います。
死ぬということは「気」が離散し、無くなってしまう状態だということです。
そして、一度、離散した「気」は、もう二度と戻らないと考えました。
しかし、ある日、弟子に、「そうしたら、先祖祭祀はどうして行うのですか?」と問い質されます。
朱熹は、答えることが出来ませんでした。
先祖祭祀は、儒教の一番、重要視することだからです。
魂を祭るという行為は、物質を主体に考えると答えが出ません。
科学的に考えると、無意味なものだからです。
人間が、ただの、物質に成り果ててしまいます。
この部分が、全てを科学的に説明しようとした、朱子学の欠点だと、指摘する人もいます。
儒学が、先祖祭祀を過剰に強調してきた歴史があるからです。
私は、先祖祭祀は、善いことだと思います。
ただ単に、先祖の魂を祭るという意味ではなく、自分という命を、存在させていただいたことに感謝をする、お礼をする行事だと思っています。
例え、お礼をする相手の魂が無くてもです。
自分が、感謝の気持ちを忘れない為の行事です。
だから、私は、この点は、朱子学の欠点だとは、別に思いません。
大した矛盾とは思われないからです。
話が反れましたが、朱熹は、こうして仏教のように、統一した理論で、既存の儒教を次々に説明し、纏めあげていったのです。
江戸時代、徳川家康は、この朱子学を利用してお殿様と家臣の関係を説明し、家来たちに徹底的に「忠誠心」という道徳を植え付けました。
そして、他の学問は禁止しました。
「上下定分の理」という考え方が、幕府という体制を維持するのには、とても、好都合だったからです。
現代でも、この「理」という言葉は生きています。
理科、物理、原理、道理、義理、心理、地理、無理、などです。
朱子学を知らなくても、だいたい意味が分かります。
物事を決定している「筋道」(すじみち)です。
それは、朱子学の「理」が、社会に浸透した結果だと思われます。