司馬遼太郎の「歳月」(さいげつ)という本が講談社文庫から出ています。
この本は、かなりヘビィで、あまり面白可笑しくといった類の小説ではありませんが、かなり内容が濃い小説なので、紹介させていただきたいと思います。
主人公は、江藤新平(えとうしんぺい)という肥前佐賀藩の人物で、時代は幕末から明治維新が起こって新政府が生まれ、日本が諸外国と対等に渡り合えるような近代国家を造りだそうと努力している、そんな時代のお話です。
彼は、新政府で、司法卿(しほうきょう)という法律を造る役職に就き、日本の法律のほとんどを作り上げました。
西洋の法律にも精通していた彼は、それぞれの国のいい部分を取り入れて、近代国家として見事な法律を完成させました。
現代の法律も、彼が造った法律とあまり違いがないという点も、彼が、とても有能な人物であった証拠だと言えます。
だけど、彼は、法律を絶対的な正義と思い、万人が法の下で平等だと考えていました。
新政府の井上馨(いのうえかおる)という人と、山縣有朋(やまがたありとも)という人の汚職を見つけた時も、彼は躊躇せずに刑務所に叩き込もうとします。
面白くないのは、彼らの上司の大久保利通(おおくぼとしみち)です。
こうして、法律家の江藤新平と、政治家の大久保利通の戦争が幕を開けるのです。
大久保利通は、江藤新平を狙っていました。
江藤新平は、狙われている事すら気付かなかったようです。
江藤新平は曲がった事が嫌いで、弁舌もするどく、理論では誰も彼に敵いませんでした。
だけど、彼は、政治家のような裏工作という根回しが一切できない性格でした。
また、他人が裏工作をするとは夢にも思わない性格だったのです。
それに対して、大久保利通は根回しのプロと言われる天才政治家です。
人を罠にはめるのは、誰よりも上手。
江藤新平が勝てるわけがありません。
見事に料理されてしまいます。
政治とは、恐ろしいものです。
江藤新平が、絶対視していた法律さえも簡単に変えられてしまいます。
つまり、政治の前では、法律が役に立たなかったのです。
大久保利通が、行ったのは、それだけじゃありません。
軍も動かしました。
政治とは、時として、軍も、道具として用いるのです。
目的の為には、手段をえらばず、まるで、マキャベリの「戦争論」のようです。
正義なんて役に立ちません。
あらゆる手段を使って江藤新平を追い詰め、そして、捕らえます。
本来なら、東京で裁判を行わなきゃいけないのに、その場で裁判を行ない、雄弁な彼には喋らせる機会を与えず、即、判決という異例なものでした。
江藤新平を捕らえる前に事前に罪を決め、判決文まで用意しているという過去にも例のないすさまじい裁判でした。
彼には、残酷な死が待っていました。
さらし首です。
ヨーロッパの法律では、国事犯は死刑にはならないのが常識ですが、大久保利通は、それを、まったく無視します。
また、江藤新平が造ったヨーロッパ型の法律にも、そんな残酷な刑はないので、その前に使っていた旧典の法律で処刑しようとします。
ただし、旧典でも、士族の場合は名誉の為にこの刑は適応できない為、
ここも、無理やり、「除族の上、さらし首」と宣告します。
除族とは、武士をやめさせてという事です。
何が何でも、残酷に殺すというわけです。
強引で、何もかも、無茶苦茶です。
江藤新平が、気の毒ですし、大久保利通のやり方に身震いがします。
それだけじゃありません。
彼を葬りさったのは、彼が司法卿にいた時の自分の部下です。
大久保利通の筋書きで、あらかじめ、金を掴ませて寝返らせていた人物で、その件でも、江藤は、精神的な絶望を覚えたようです。
お金という手段を使って、江藤新平の仲間を無くさせ、逃げ道をふさぎ、いたぶって殺したのです。
さらに、処刑された、さらし首は、写真に撮られ、翌日の新聞で日本中にばらまかれました。
ものすごい念の入れようです。
二度と、政府に逆らう人間がでないように、見せしめの為だそうです。
まさか、自分が、法治国家で、こんな惨い殺され方をするとは想像もできなかったでしょう。
さぞ、無念だったと思います。
この小説は、江藤新平の物語りですが、大久保利通の人間離れした残忍さが強烈すぎて、主役が、どっちだか分からなくなります。
だけど、これは、実際に起きた事件なので、世の中は怖いものだということがわかります。
誰もが、みんな善人ではないということです。
政治とは、権力と権力の争いで、勝たなければ意味がありません。
競争のもっとも大きいものが戦争だということです。