この仏像は、京都愛宕山中腹にある、神護寺の蓮華虚空蔵菩薩(れんげこくうぞうぼさつ)という仏像です。
阿弥陀如来が変化したもので、法力は「与願」
願い事を叶える力を持っているという事です。
この仏像は、密教の仏像です。
密号を、如意金剛(にょいこんごう)と言います。
右手に宝剣を持ち、左手に如意宝珠(にょいほうじゅ)を持つ姿つ像容と、右手は与願印の印相と、左手に如意宝珠を持つ像容との二種類があります。
如意とは、意のままになるという意味です。
孫悟空の持っている棒は、如意棒です。
意のままになる棒ということです。
そういった意のままになる力を持った密教の仏様ということです。
密教とは、仏教の一宗派です。
密教は、仏画、仏像および、密具なしには、その思想体系を示すことが、出来ません。
そこが、他の宗派とは違う点です。
しかも、密教の教主は、歴史的実存の人物である釈迦(ブッダ)ではなくて、生身として存在しない大日如来(だいにちにょらい)というものを想定し、中心にします。
そういった面で、密教は、仏教の延長線上にある発展形態だと一括りで説明するには無理があるように思えます。
別のものだと見たほうが、素直な態度だといえるのかもしれません。
密教の成立は、紀元5、6世紀~7世紀の西南インドの海岸だと言われています。
この地域は、航海術をもったアラビア人との貿易で栄え、多くの貿易成金が成立しました。
ダイヤモンドは、地上のいかなる物質よりも硬くて、希少性があり、しかも美しい。
富の象徴です。
そのことの商業上の価値を、最初に発見したのは彼らでした。
中国人や、日本人が知らないダイヤモンドを、インド人は古くから知っていました。
ダイヤモンドの事を、漢訳では「金剛」(こんごう)と言います。
密教以前の「具舎論」という経論にも、その言葉が用いられていました。
当時は、インドのゴルコンダが、世界で唯一のダイヤモンドの産地であり、インド人貿易業者の富は莫大なものになりました。
彼らは、現世がいかに良いものかを、知ったはずです。
釈迦は、全てを捨てよと言われました。
しかし、我々は、現世で喜びを感じています。
もし、これらを、持ったまま(即身のまま)成仏できるとすれば、どんなに良いでしょう。
そういう願いが、「即身成仏」(そくしんじょうぶつ)を修行の核とする、密教を誕生させた原因かもしれません。
密教仏は、色々ありますが、特に「菩薩像」(ぼさつぞう)が華麗に装飾されています。
もともと、「菩薩」(ぼさつ)という観念は釈迦のころにはなく、紀元前後に、現れたものと言われます。
この「菩薩像」は、なまなましい程に、地上的な姿をとります。
宝石を散りばめた宝冠をいただき、耳にはイヤリング、首にはネックレス、手にはブレスレットなどの宝石と、金銀の宝飾品をつけて、現世そのものの姿(捨てていない姿)で現われます。
捨てずとも、そのままで成仏できるという教えは、空海が重要視した「理趣経」(りしゅきょう)という経典によって明らかにされています。
この経は、別名を、「大楽金剛不空真実三摩耶経」(だいらくこんごうふくうしんじつさんまやきょう)と言います。
大楽(普遍)な、金剛(ダイヤモンド)の、不空(願いが
むなしくない)、真実(本当)の、三摩耶(諸仏の誓い)
の経典という意味になります。
不動明王における剣や、薬師如来における薬瓶などの小道具。
他の諸仏、諸菩薩が、それぞれ結んでいる印(手の形)などは、願いの象徴であり、諸仏の誓いを形にしたもので、三摩耶形(さんまやぎょう)と言われます。
さて、ここからが本題ですが、この「理趣経」には、いったい、何が書かれてあると思いますか?
実は、のっけから、男女のエッチについて書かれています。
エッチが、大肯定されていて、その欲望を「欲箭」(よくせん)と言い、触れることを、「蝕」(しょく)と言い、抱き合うことを、「愛」(あい)と呼んだりして、わざわざ名前を付けて、くどくどと、エッチを語ります。
あなたは、好きな異性を思いなさい。
会いたいはずである、触れたいはずである、愛したいはずであると、なまなましく、畳み掛けていきます。
本来なら、「煩悩」(ぼんのう)という欲望をあらわす、哲学用語を使うべきでしょうが、全然使いません。
本当に、釈迦が説いたのかは疑問に感じますが、当時の人がそれだけ、欲望に執着して正当性をアピールする為に、このお経を創作したのであれば、それは、それで、
涙ぐましい、努力の結晶のように、思えます。
それだけ、欲望とは、人間を惑わす魅力に満ちたものだったということでしょう。
ダイヤモンドは欲望の象徴であり、このお経は、そういった欲望を肯定した経典だということです。
別の言い方をすると、密教とは、欲望を肯定した教えとも、言えそうです。
そして、密教は、ヒンドゥー教の持っていた多神教の要素を取り入れ、商業によって、実力を持ったドラヴィダ人たちが、もとから持っていた宗教の、呪術的な要素も加えて、それを整頓し、体系づけていきました。
その原理と、体系を説くにあたって、言語を使わずに、「曼荼羅」(まんだら)とよばれる絵画を持ってしたのも特徴の一つです。
密教のことを、「真言秘密の法」(しんごんひみつのほう)と、言います。
一定の修法に従って、「印」(いん)を結び、口に「真言」(しんごん)を唱え、心に「本尊」(ほんぞん)を念じます。
「真言」とは、呪術的な、呪文です。
この点でも、釈迦の仏教とは、全然違っています。
先ほどの、三摩耶形(さんまやぎょう)の「印」や、「真言」などの取り決めは、「儀軌」(ぎき)と呼ばれます。
日本では、空海が、仏画や仏像を作らせるにあたって、この「儀軌」を、厳格に守らせました。
彫刻の仏像が、インドに出現するのは、紀元1世紀ごろです。
アレキサンダー大王の大遠征が、インドの北西部のガンダーラに至った時に、彫刻という才能をもったギリシャ人の文化が、インドの人たちに影響を及ぼしたと言われています。
こうして、多種、多彩な仏像が生まれます。
密教の仏像は、インド、中国、朝鮮、ヴェトナム、日本などで、共有される芸術となりました。
しかし、日本の仏像ほど、卓越しているものはないようです。
詳しくは、司馬遼太郎の「微光のなかの宇宙」中公文庫の中に、書いてありますので、よかったら、読んでみてください。
仏像を、曼荼羅のように配置した、教王護国寺の立体曼荼羅や、三十三間堂の、1000体並んだ千手観音像は、恐ろしいぐらい迫力があって、私も初めて見た時は、びっくりしました。
関係者からは、罰当たりだと、お叱りを受けそうですが、仏像を鑑賞するのも、面白いなと感じました。
だけど、その全ての形に、意味を持たせているというのは、驚きですし、ちょっと、感動的な話です。