平等のお話

最澄(さいちょう)という人が、中国より、持ち帰った、天台宗(てんだいしゅう)という仏教の宗派があります。

 

空海(くうかい)の真言宗(しんごんしゅう)が、「密教」(みっきょう)と言われるのに対して、最澄の天台宗は、「顕教」(けんきょう)と言われます。

 

経典を重要視する宗派で、「法華経」(ほけきょう)を最高の教えとします。

 

解脱をする為の実践として、「止観」(しかん)をするのも特徴です。

 

「止観」とは、瞑想のことです。

 

最澄と、空海が、日本史に登場する前は、奈良を中心に南都六宗(なんとろくしゅう)という仏教の宗派が主流でした。

 

三論、成実、法相、倶舎、華厳、律(さんろん、じょうじつ、ほっそう、くしゃ、けごん、りつ)の六つです。

 

これらは、宗教体系というより、論、もしくは、哲学に近く、仏教の究極の目的である「解脱」(げだつ)ということについての、具体的な実践面が欠けていまいた。

 

「解脱」とは、「煩悩」(欲望)に執着することから離れて、生老病死といった苦しみから解き放たれることです。

 

釈迦はもともと王子さまで、裕福な暮らしをしていました。

 

それが、ある時に城の外へ出て、貧しく苦しんでいる人や、病気で苦しんでいる人などを見てショックを受けます。

 

人間が持つ苦しみを、どうすれば無くすことが出来るのかを考え、答えを探す為に旅に出るのです。

 

それは、全ての人を救いたいという気持ちから出た行動でした。

 

 

 

仏教では、平等を説きます。

 

もともと、インドで生まれた仏教ですが、この平等を主張する考えの為に、インドで主流であったヒンドゥー教のカースト制度(身分差別)とは相容れず、お釈迦様の教えを象徴する「蓮の華」を意味する「パパラチア」サファイアの産地として有名なスリランカで仏教は生き残ったぐらいで、やがて本国インドでは仏教は消滅してしまいます。

 

ところが、この仏教の平等という特徴が他の国に伝わってから、反動なのか、さらに強調され進化していきます。

 

仏教の目的は「解脱」です。

 

その為の方法を、いろいろな経典で説いています。

 

ところが、それは個人の「解脱」を目的としていて、他人の「解脱」は目的とされていません。

 

これは、一人乗りの乗り物だという事で、「小乗仏教」(しょうじょうぶっきょう)だという人が現われます。

 

そして、みんな一緒に解脱出来る大きな乗り物が必要なんだと、「大乗仏教」(だいじょうぶっきょう)と名乗る人たちが現われます。

 

中国の天台宗も大乗仏教の一つで、最澄は、その天台宗を日本に持ち帰ります。

 

最澄は、天台宗の平等をさらに広げて、「草木国土悉皆成仏」(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)と言います。

 

生きとし生けるもの全てはもちろん、命のない、山や、川など、自然までもが平等に成仏できるのだということです。

 

これを「本覚思想」(ほんがくしそう)と言います。

 

この極端なまでの平等思想で、最澄は生前に、法相宗の徳一という僧と論争を繰り返します。

 

天台宗は、最澄一人では完成出来ず、その弟子の円仁(えんにん)によって完成されます。

 

そして、中興の祖として、良源(りょうげん)という人が、南都六宗の代表と宗論で対決し、勝ちを収め、この宗派の地位を不動のものにします。

 

浄土宗(じょうどしゅう)の法然(ほうねん)も、浄土真宗(じょうどしんしゅう)の親鸞(しんらん)も、曹洞宗(そうとうしゅう)の道元(どうげん)も、みんな、天台宗から分かれた宗派です。

 

「法華経」などの経典を重要視する為に、さまざまな解釈が生まれ、さまざまな、宗派が誕生したように思われます。

 

「法華経」は、小説のような物語です。

 

この「法華経」の第二章で、全ての人々の幸福の為に「法華経」は説かれたと書かれています。

 

そして、第十五章で、釈迦如来(しゃかにょらい)が説法している時に大地が割れ、そこから無数の「菩薩」(ぼさつ)が涌き出てくる情景が描かれています。

 

これらの「菩薩」は、他でもない我々普通の人間の事で、釈迦の亡くなったこの世において釈迦の意思を継ぎ、大衆を救おうとするものの事なのです。

 

人助けをする行為を、「菩薩行」(ぼさつぎょう)というのは、ここから来ています。

 

宮沢賢治さんは「法華経」を学んで、「世界全体が、幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」と言いました。

 

なんだか、前回のゲーテの「ファウスト」と、よく似たお話です。

 

 

 

余談ですが、「最澄」は、中国の天台宗には無かった「密教」も、

 

本格的に学んで取り入れようと、「空海」の弟子になった時期もありました。

 

しかし、「空海」が持っていた「理趣経」(りしゅきょう)を写さ

 

せてほしいと願い出て、断られて仲たがいをします。

 

「理趣経」とは、人間の営みで、不浄なものはないという「自性清浄」(じしょうしょうじょう)を説いたお経です。

 

 

「煩悩」(ぼんのう)を捨てるのではなく、「煩悩」を、生命そのものと見て、持ったまま成仏できるという一種の「本覚思想」(ほんがくしそう)です。

 

 

こうして、全ての人が仏に成れる(成仏)という考え、「本覚思想」は、みんなが救われる「衆生救済」(しゅじょうきゅうさい)の鎌倉仏教へと引き継がれていき、「平等」という考え方が生まれたわけです。