新潮文庫のサン=テグジュペリの「星の王子さま」という本があります。
子供向けのファンタジーで、世界中で大ヒットしました。
主人公が、冒険の途中で知り合った狐から仲良くなったお礼に、世界の秘密を教えてもらいます。
それは、「本当に大切なものは、目には見えない」という事です。
いろいろな解釈が出来ると思いますが、作者が言いたかった目には見えないものとは、いったい、何だったのでしょうか?
私は、「心」だと思います。
世界は、科学が発達してマルクスという人が唱えた「唯物論」という考え方が広まっていきました。
崇高な精神も、所詮は脳という物体が作り出したイメージにすぎず、人間も機械も変わりがないという考えを、「唯物論」(ゆいぶつろん)と言います。
全てが、科学の法則で説明が出来て、神様がいらなくなりました。
宗教も、いらなくなりました。
現実的です。
それに対して、物質を物質として容認されるのは、意識によるものなので、意識が存在を決定するという考えを、「唯心論」(ゆいしんろん)と言います。
近代になって、この考えは、観念論や、理想主義でしかないと批判される事が多いようです。
私は、後者を支持したい一人です。
世界の真実は、本当は「唯物論」だと思います。
だけど、「唯心論」を支持したいのです。
「唯物論」は、突き詰めると、命と物の価値が同じになって、命が軽く扱われてしまう危険性があります。
例え、それが真実で、命が尊いと考えることが嘘であったとしても、私は嘘を信じたいのです。
自分が死んでしまった世界を想像して下さい。
そういう世界に、魅力を感じるでしょうか?
希望を感じるでしょうか?
価値をみいだせるでしょうか?
自分の子供や、孫や、愛する親友がいるから魅力を感じるという人もいるかもしれません。
だけど、やっぱり、自分という人間が存在して、始めて喜びや、悲しみを堪能できるように私は思います。
自分という「心」があるから、価値が生れるということです。
運命のお話の所で、人間は元々は死んでいるのが普通の状態で、生きている事が異常な状態だとお話しました。
だけど、人間は、生きているのが普通の状態だと思いがちです。
それで、いいんです。
人間が、そう考えてしまいがちなのは自分が存在しない世界を想像しにくいからです。
自分の存在しない世界に、魅力を感じにくいからだと思います。
サン=テグジュぺリは、飛行機の操縦士でした。
飛行機は、空を飛びたいという人類の夢でした。
人類は、目標という心の設計図を持って、夢を現実に変えました。
まさに奇跡です。
だから、間違っていても、心とは、夢を持ち、希望を持ち、苦しみに立ち向かい、世界を変えていける崇高なものだと私は思いたいのです。
そして、それが、普通の人間の姿だと思うのです。