大阪府交野市私市にある天田神社にやって来ました。
今は、住吉四神?を祀っている神社だそうですが、この辺りは、ニギハヤヒの領地で、甘いお米が採れることから甘田(あまた)と呼ばれ、それが、いつしか天田(あまた)となったようです。
天の川の天田は、七夕伝説とも関係があります。
敏達天皇(びだつてんのう)は、物部氏系の天皇で、仏教反対の廃仏派でした。
その皇后の推古天皇(すいこてんのう)は、蘇我氏系の天皇で、仏教賛成の崇仏派でした。
この時代は、物部氏と蘇我氏の権力争いがあり、どちらの血を引く皇子が天皇になるかで、争っていました。
尾張目子媛(おわりめのこひめ)は、ニギハヤヒの子孫で、敏達天皇が、その血を受け継いでいますが、この時代、物部守屋も殺されて、蘇我氏系の天皇に押され気味でした。
敏達天皇の血を引く、舒明天皇(じょめいてんのう)と斉明天皇(さいめいてんのう)の子供が、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)で、中臣鎌足(なかとみのかまたり)とクーデターを起こし、蘇我入鹿(そがのいるか)を殺し、ニギハヤヒの血を後世に繋げます。
江戸の国学者からは偽書とされた「先代旧事本紀」によると、蘇我氏は、武内宿禰(たけうちのすくね)の子孫で、そこから更に、遡ると、ニギハヤヒを護衛していた32神の一人、天道根命(あまのみちねのみこと)の子孫だということです。
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が、天智天皇(てんちてんのう)です。
天智天皇以降は、蘇我氏は衰退していきますが、中臣鎌足(なかとみのかまたり)は藤原氏となって、天智天皇係の外祖父となって繁栄していきます。
天皇が「織姫」で、物部氏が「彦星」だとすると、この2人の橋渡しをする「カササギ」は、「鶴」である藤原氏が代用したのかもしれません。
拝殿です。
ここから、少し歩いて獅子窟寺(ししくつでら)に行こうと思います。
けっこう坂道です。
途中で小さな展望台がありました。
森の隙間から、少しだけ景色が見えました。
右に行くようです。
道の上に、なんか大きな岩があります。
あ、もうすぐ着きそうです。
着きました。
ここが獅子窟寺です。
先ほど、下から見えていた岩があります。
獅子の岩と書いてます。
これが隕石なのでしょうか?
こっちにも岩がありますね。
さあ、これで、終わりました。
帰りましょう。
まだコメントはありません。