橿原近鉄

近鉄電車の大和八木駅で降りました。

今回は、夜の搬入でした。

橿原近鉄さんの仕事で来ました。

翌日、休憩出来そうな屋上にやって来ました。

神社があります。

まずは、商売させていただいているお礼を言いに行きました。

百貨店の屋上では、99%が、お稲荷さんを祀っています。

磐船稲荷大明神(いわふねいなりだいみょうじん)と書かれています。

磐船とは、ニギハヤヒノミコトを祀っている神社で、大神神社(みわじんじゃ)と同じ神様です。

珍しい名前のお稲荷さんです。

中央には、柵がしていて、緑色のピラミッドみたいなものが見えます。

大和三山の模型のようです。

畝傍山(うねびやま)、耳成山(みみなしやま)、香具山(かぐやま)と書かれています。

奥に進んでみました。

芝生です。

壁に何か書かれています。

この橿原は、日本史上、最大の都と言われた藤原京のあった場所で、その規模は、内側に、この大和三山も含んだ大きさだったそうです。

とんでもない大きさです。

大和三山がよく見える「甘樫の丘」と呼ばれる地名があり、そこの地名を取って、橿原近鉄の屋上を、「新甘橿の丘」としているようです。

「甘樫の丘」は、蘇我蝦夷と、蘇我入鹿の邸宅があった場所で、甘樫坐神社(あまかしにますじんじゃ)という神社があります。

元々は甘樫神(あまかしのかみ)と呼ばれる蘇我氏の氏神が祀られていたようですが、大化の改新の後、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)という災厄の神に変更され、この神様の代わりに推古天皇が祀られるようになったようです。

権力争いの勝者が、いつも都合のいいように歴史を変えていくということです。

八十禍津日神(やそまがつひのかみ)は、直毘神(なおびのかみ)と呼ばれる神様とセットにされますが、おそらく、この神様はニギハヤヒの別名であり、蘇我氏の祟りを恐れて、一緒に祀られるようになったのだと思います。

景色が見れます。

右下を近鉄電車が走っています。

三輪山(みわやま)と柱に説明が書かれています。

三輪山は、山全体が大神神社(みわじんじゃ)の御神体で、右の歌は、額田王(ぬかたのおおきみ)が、三輪山を懐かしんで歌ったものだとされますが、愛する大海人皇子(おおあまのおうじ)と別れ、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)に従って近江に行かなければならない切ない気持ちを表現したという説もあり、大和三山の山を、三角関係として表したものなのでしょう。

味酒三輪(うまさけみわ)とは、神酒(みわ)と同音の地名である三輪(みわ)に味酒(うまさけ)の枕詞を冠したものです。

日本語は、本来は音が重要で、漢字は当て字のものが多いので、意味を考える時は、漢字は無視して音で考えた方が良いようです。

大神神社は、蛇の神様で、ヤマタノオロチにお酒を飲ませて寝ているすきにスサノオが退治をしたという神話があるようにお酒の神様でもあります。

その横が、耳成山(みみなしやま)と書かれています。

耳が無いというのは、蛇の頭か何かでしょうか?

耳成山の別名は、菅山(すがやま)だそうです。

おそらく、清々しい山という意味で、朝の太陽を表しているんだろうと思います。

蘇我氏系の聖徳太子は別名を豊聡耳(とよさとみみ)と言います。

耳が無いということは、蘇我氏系ではなく、物部氏系の山かもしれません。

三種の神器の八咫鏡(やたのかがみ)を象徴する山かもしれません。

その次が、香具山(かぐやま)です。

鹿の神である天迦久神(あめのかくのかみ)は藤原氏の氏神なので、藤原氏系の山だと思います。

こちらは、胴体でしょうか?

土器を作る時の粘土(香具土)が採れた山だそうです。

それから、香具山は、嗅山(かぐやま)でもあり、別名を鼻成山(はななすやま)とも呼びます。

こちらは、耳成山(みみなしやま)のように成(なし)とは読まずに成(なす)と読むようで、花の山(はなのやま)という意味でしょうか?

「かぐや姫」とは、「咲くや姫」の事で、ニニギノミコトの奥様となったコノハナサクヤヒメを表しているのかもしれません。

この山は、三種の神器では、「月の光」を表す八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)ではないかと思います。

この勾玉は、出雲の花仙山(かせんざん)で作られたと言われていますが、こちらも名前に「花」がつきます。

勾玉は、中心に穴が空いていて、紐を通してネックレスにされます。

装飾品であり、「美」を象徴する山ということでしょうか?

最後に、畝傍山(うねびやま)です。

うねる尻尾で、畝尾(うねび)でしょうか?

畝火山(うねびやま)とも書き、「火がうねる」という意味だそうです。

畝傍山の別名は瑞山(みずやま)だそうです。

鍛冶には、火と水の両方が必要です。

この山は、三種の神器の「雲」を表す天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)かもしれません。

これで、「すがすがしい」「かぐわしい」「みずみずしい」が揃いました。

この辺りは、ニギハヤヒノミコトに随伴して渡来した鏡作部(かがみつくりべ)、玉作部(たまつくりべ)、鍛部(かぬちべ)の技術者集団の住んでいた所で、鏡や、玉、剣が作られた場所のようです。

スサノオがヤマタノオロチを退治して、尻尾を切り裂くと三種の神器の天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が出てきたと神話にはあります。

この剣の名前は、天にかざすと、雨雲が出て、雷が鳴り、嵐を呼んだ為に付けられたそうです。

剣はスサノオから天照大神に奉納され、天孫降臨の際にニニギノミコトに手渡されたとされ、天皇家の武力の象徴となっています。

この畝傍山の北側に蘇我氏が住んでいたと言われ、東南側に、神武天皇を祀る橿原神宮が建てられているので、この山は、蘇我氏系の山かもしれません。

権力の中心が、物部氏から蘇我氏に移って、またそれを藤原氏が取り戻してと大忙しです。

ニギハヤヒノミコトは、ニニギノミコトの兄だそうです。

額田王(ぬかたのおおきみ)は、鏡王女(かがみのおおきみ)の娘か、妹とされています。

宝塚歌劇団のミュージカル作品「あかねさす紫の花」は、この額田王が歌った「あかねさす 紫野ゆき 標野ゆき 野守は見ずや 君が袖ふる」から取られているそうです。

天の香具山(額田王)を取り合う耳成山(天智天皇)と、畝傍山(天武天皇)の三角関係の恋物語です。

 

 

「わたつみの 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 まさやかにこそ」

 

                          中大兄皇子

 

 

「いにしへの 事は知らぬを われ見ても 久しくなりぬ 天の香具山」

 

                           作者未詳

 

そろそろ休憩時間も終わりです。

売場に戻ります。

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