武力武装
日本は、アメリカの核の傘に守られていて、なんとも情けない国だと思っていました。
自分の国は自分で守る。
その為に日本も核武装するべきだと思っていました。
みなさんは、広島でもいい、長崎でもいい、原爆資料館に行かれた事がありますでしょうか?
もし、なければ、一度、ご覧になられる事をおすすめします。
原爆の悲惨な状況はだいたい想像ができるし、わざわざ見に行く必要もない。
そう思われる方も多いと思います。
私自身がそうでした。
だけど、想像するのと見るのとでは全然インパクトが違います。
実際に、原爆の被害にあわれた方達は原爆が恐ろしいものだということは、よく、ご存知だと思います。
だけど、それを体験していない若い人達は、人から聞いて恐ろしいものだと分かった気持ちになっているだけで、実は、全然分っていないと思うのです。
私の場合は、たまたま、広島に仕事で行く機会があって、一日、予定が空いたので観光地をまわることにしました。
原爆ドームを訪れ、原爆資料館に入りました。
その時、私の核に対する考えが180度変わりました。
自分を守るという偽りの正義
原爆資料館には、原爆の被害者がどろどろに溶けて苦しんでいる人々の姿の写真などが展示してあり、その人物が、自分であり、家族であり、友達だという観念が頭の中をよぎって、決して他人事ではなく自分の事だと思えたのです。
こんな残酷な兵器は作るべきではない!
自分が殺されるのが怖いから、先に相手を殺してしまう?
お互いがお互いを苦しめあって、そこに希望の光はあるのでしょうか?
明るい未来が待っているのでしょうか?
他人は自分を映した鏡で、他人を破壊する行為は自分を破壊する行為に他ならないのでは…!?
話し合いや、ルールが全く通用しない相手がいるので仕方がない?
そこまで、人間はバカなのでしょうか?
核は、抑止力に必要?
冗談じゃない!!
いろいろと自問自答を繰り返しました。
自分達が攻撃されることを恐れて、相手に危害を加えようとする。
それは、動物的で臆病な人間のする短絡的な恥ずかしい行為だと、私はその時思いました。
核を持たずに、きっと平和に暮らせる方法を人類は見つけだすことが出来る。
いや、見つけ出せなければ希望のない地獄の未来が待っているだけだ。
核を持つことは、絶対に間違っている。
そう確信しました。
原爆資料館には、いろいろな国の人達が来られていました。
外国人の女性の学生のような方が、とても、深刻な顔をされていて、その表情をみていると、きっと、やさしい方なんだろうなと思いました。
そうかと思うと、外国人の男性の方でケタケタと笑い、
友達とふざけながら、はしゃぎながら廻っておられる方もおりました。
こういう方は、日本人も同じ人間だという感覚が無いのか、人の痛みを感じれない方なのか、よく分かりませんが実際にそういう方もおられました。
そういう話の分らない自己中心的で、人を殺す事に躊躇しないサイコパスな人達の前で、武器を持たずに丸腰というのも確かに危険なようには感じます。
アメリカが銃を手放せないのも核に通じる問題だと思います。
キリスト教が浸透した社会のはずなのに、その教えである人を信じるという行為が封印されて、力で統制する社会となっています。
また、日本も、原爆の被害者や危機感を利用して日本の転覆を狙うというプロパガンダを持つ最も姑息な人々も存在します。
弱者を利用して国を壊そうという人々です。
私は個人的には、そういう人達には反対です。
とても難しい問題ではありますが、人間の幸福な未来を築いていくために避けては通れない問題だと思います。
核については、いろいろと考えさせられます。