日本庭園に「枯山水」(かれさんすい)というものがあります。
「水」を使わずに、白い砂利を敷き詰めて波の模様をつけて、「水」を表現した庭園です。
わび・さびの心です。
この「枯山水」は、仏教の一宗派である、「禅宗」(ぜんしゅう)のお寺から広まりました。
「禅宗」とは、もともと、中国で始まり、インド人の菩提達磨(ぼだいだるま)という人が開祖で老荘思想(ろうそうしそう)を取り込んで、独自に発展した仏教です。
縁起物で、願い事が叶うと目を書き込む「だるま」さんは、9年も座禅をずっと続けて修行した達磨大師をモデルとしています。
何故、座禅なのかというと、ブッダが菩提樹の木の下で座禅をして悟りを開いたからです。
同じ過程を辿れば、同じ結果が得られると考えたわけです。
座禅を組んで、自然と調和することで、悟りという境地に達することが、目的です。
禅宗が影響を受けた老荘思想とは、中国の老子(ろうし)と、その弟子の荘子(そうじ)による思想で、物事を分ける知恵を否定し、世の中に必要でないものは無いとする「無用の用」(むようのよう)を説いた、全ては自然に任せるのが良いとする「無為自然」(むいしぜん)の哲学です。
「水」は生命の源です。
「生」を表します。
枯山水は、その「水」が枯れた庭園です。
言わば、「死の庭園」です。
だけど、自然のありのままの姿を表す「わび・さび」の美しさがあります。
「わび・さび」とは、侘(わび)しい、寂(さび)しいの略で、そういった汚れた部分を廃除しない自然のままの姿に「美」を引き立てる要素があるという考え方です。
江戸時代前期の俳諧師の松尾芭蕉(まつおばしょう)は、枯れ枝、岩、セミ、カラス、蛙など、決して美しくない自然界のものを題材にして「わび・さび」を表現した日本史上最高の俳諧師の一人とされます。
話は変わりますが、「武士道」(ぶしどう)という言葉があります。
有名な言葉に、「武士道とは、死ぬことと見つけたり」と言う、あれです。
「武士道」は、「禅」からの影響を受けて誕生しました。
日本に禅宗を定着し、発展をさせたのが、臨済宗(りんざいしゅう)の開祖といわれる栄西禅師(えいさいぜんし)で、鎌倉幕府の武家政権に認められ、武士の精神と結び付いていきました。
「禅」では、死も、生も、自然の一形態にすぎず、さほど重大なものとは考えません。
生きることに執着せずに悟りの境地に立って、いつでも、死ぬ覚悟をするというわけです。
武士が切腹をするのはここから来ているようです。
負けても、美しく、恥にならないような最後を決めるということです。
枯山水の美学で、サムライの美学です。
それから、禅宗では、「不立文字」(ふりゅうもんじ)と言って、知識による文字や言葉での伝承を行いません。
「言葉」は解釈する側によって180度も意味が変わる危険性があり、発する側の気持ちを受け取る側が正確に理解できない場合があるからです。
その為、禅宗では「公案」(こうあん)という問答を繰り返し、住職が修行者の悟りの段階を見極めます。
「言葉」が解釈する側によって意味が変わる例は、建築基準法の高さ制限に抵触する東京タワーを建築物ではなく広告塔だと解釈すれば問題ないとした田中角栄が一番に思い浮かびます。
憲法改正の手続きを経ることなく憲法の解釈を変更して意味や内容を変える解釈憲法もそうです。
禅宗では、言葉によらず、互いの心から心に伝える事を「以心伝心」(いしんでんしん)と呼びます。
そして、悟りを得る為の経験として「座禅」を重要視しています。
いくら言葉や文字で説明しても、りんごの味は食べてみないと分かりません。
知らない事を知る為には、自分で経験するしか方法がないということです。
絵を描こうと思ったら、人から聞くのではなく、まずは自分で描いたみることです。
そして、経験を重ねると段々と上手な絵が描けるようになっていきます。
必要なのは、上手な絵を描きたいという気持ちと経験なのです。
この宗派では、中心的な経典を立てません。
徹底しています。
それから、この宗派のもう一つの特徴は、精神と肉体とは同一のものと考えて区別をしません。
生も死も、縁によって起こった仮の姿であり、仮の姿だから、生きたり死んだりはしないということです。
つまり、精神も、肉体も、一つのもので、不滅だと言うのです。
これが、「常住不滅」(じょうじゅうふめつ)です。
世の中には、あらゆる宗教が、存在して、死後の世界を論じていますが、不死ということを論理的に導き出した教えは、世界中を探しても、禅(仏教)以外には無いと思います。
天国や地獄も無いということです。
日本人の根底にある武士道の骨格となった凄まじい思想です。